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ふつうの麻婆豆腐

先日、映画『シンゴジラ』を観てきた。

 

内容はさておき、何をするにも会議や稟議でカチコチの日本社会を風刺するべく、

そんなシステム社会が最も苦手な「規格外・想定外のもの」つまり

既成のルール上で「ありえないもの」をできるだけ「ありえない」形で

放りこんでみたらどうなるの、という映画だった。

 

あれだけ現実味のない怪物が、これまた隅々までリアルな東京を

好き放題めちゃくちゃにするさまは異様ではあるものの、

東京に降り立ったゴジラの異様さよりも気になってしまうのは、

そんな状況下でもシステムに従ってロボットのように生きる人間の異様さだった。

 

 

さて、映画を観終わって夜ごはんに中華をチョイスした。

私はあまりお腹が空いていなかったので、生ビールとつまみに蒸し餃子を注文し、

一緒に映画を観た彼が麻婆豆腐セットを注文する様子を優しく見守っていた。

 

しかし、彼が欲しかったふつうの麻婆豆腐は、キャンペーン中で

スペシャル麻婆豆腐(たぶんこんな感じ)へと姿を変えていた。

 

注文をとりにきた店員さんいわく、

スペシャル麻婆豆腐はふつうの麻婆豆腐より少し辛いんだそう。

彼はそんなに辛い麻婆豆腐を求めていなかったらしく、少し考えこんでいた。

 

すると店員さん、

スペシャル麻婆豆腐を少し辛くなくもできますよ」

とのこと。

 

彼は、提示された思いがけない迂回路に一瞬戸惑ったものの、

求めていたものにたどりついて安心した様子で「スペシャル麻婆豆腐、少し辛くないの」を注文していた。

 

 

そのとき、ふと村上春樹の『バート・バカラックはお好き?』という短編を思い出した。

あれも、たしかそんな話で、主人公の「僕」は普通のハンバーグ・ステーキが食べたいんだけど

入った洋食屋には、なになに風ハンバーグ・ステーキしかない。

 

僕が困っていると、ウェイトレスの女の子が

「ハワイ風ハンバーグ・ステーキのパイナップルをどけちゃえばいいのよ」

と、教えてくれる。

 

その言葉で僕は事なきを得て、ハワイ風ハンバーグ・ステーキを注文する。

そして、ハワイ風ハンバーグ・ステーキ、パイナップル抜きという形でしか

普通のハンバーグ・ステーキにありつけない世の中をなんとも変なものだと思う。

 

細かいところは覚えていないけど、たしかこんな話だったはずだ。

 

 

 

 

時は変わり、警察官をしている同級生とご飯にいった。今度はイタリアンだ。

そのとき、警察のことをいろいろと教えてくれたのだけれど、警察官というのはまあ大変な仕事のようだ。

そりゃあ日々市民の平和を守っているのだからそんなの当たり前なんだろうけど、

やはり当事者から聞くと、その大変さにはほんとうの重みがある。

 

聞けば、何年かは厳しい門限のある寮で暮らさなきゃいけないうえに、

夏休みをもらうのにも偉いひとの「決裁」が必要で、

さらに恋人ができたならその恋人の情報をちゃんと規定の書類に記して提出しなくちゃいけないらしい。

これもまあ当然といえば当然なんだろうけど、変な人物が警察官の側にいてはまずいからだ。

 

しかしまあ、こんなのは序の口で、実際の業務は少し聞いただけでも、

もっと過酷で強い精神を必要とするものだった。

 

そんな凄まじい現実と日々対峙しているのだから、

個人としての自分の感情を押し殺して警察官という役割、

つまりは市民の安全を守る強靭なシステムの一部になりきることは

一人の人間としての弱い自分を守るためにも不可欠なことなんだろう。

 

そしてそんな警察官の彼も『シンゴジラ』を観たらしく、

おもしろかったねと楽しく話をしていたのだけど、彼からしてみると

あのコチコチの稟議システムにおいては、実際にその中に身を置いている分、

痛いほどに現実味があったと皮肉をこめた笑顔で話していた。

 

 

 

何も、この一連の話で社会のシステムにどうこう文句を言いたいわけではなくて、

どちらかというと、つまりスペシャル麻婆豆腐しかないように見えても、

少し迂回してふつうの麻婆豆腐にたどりついたり、

あるいはハワイ風ハンバーグ・ステーキからパイナップルをどけて

普通のハンバーグ・ステーキを食べる。

そういうことが上手にできるってことは、もしかしたらゴジラみたいに

システムそのものを破壊しにかかるより大事なのかもしれない。

少なくとも、今ある現実を生きるしかない私たちには、

そんな柔軟性が必要なんだと思う。

 

だって、そうじゃないと市民の平和はこうしてきっちりと守られなくなっちゃうし、

そもそも何かの間違いでほんとうにゴジラが降り立っても、

誰も率先して立ち向かったりなんてしないはずだ。

そうなったら、ほんとうに悲惨だ。

誰もが自由の名のもとに自由に生きるっていうのは、

そういう「現実的な」暗い面があることを忘れちゃいけない。

 

 

物事にはいつだって陰と陽があるらしいし、完ぺきっていうのはなかなか難しい。

だからこそ、社会を完ぺきだと思ってそれに従属するロボットになってしまうのではなく、

そんな不完全な社会の中に身を置きつつ柔軟に生きていくことに、人間の人間らしさみたいなものの意味が生まれるんだと思う。

 

 

 

 

 

 

そういえば、彼の注文した麻婆豆腐だけれど、

実際にテーブルに運ばれてきた「スペシャル麻婆豆腐、少し辛くないの」は、思ったよりずいぶん辛かったらしい。

たくさんの真っ赤な鷹の爪を、彼は神経質に一つ残らず取り出して端に寄せていた。

 

彼は終始「辛い」を連呼していたけれど、

そもそも本場の中国人が経営している中華なのだ。

 

そんなのインド人に、バーモントカレーを期待するようなものだ。

少し考えればわかるだろうに。

 

ma.