レモンパスタ
「ピザとパスタ」特集をしていた雑誌に、「レモンパスタ」の作り方が載っていた。
それからというもの、なぜかことあるごとに、レモンパスタのことを考えてしまう。(そもそもレモンパスタってなんなんだろう)
もちろん作り方は読んだし、ほんきになれば明日のお昼にレモンパスタを作ることだってできる。
ただ、レモンパスタのことを考えると、なんだかこう、お腹の奥の方がどうも落ち着かなくなる。
材料はシンプルで、
・パスタ
・レモンの薄切り
・オリーブオイル
・塩
というもの。
ほんとうにシンプルでしょう。
だからなのか、こう、一旦火をかけたらもう後戻りできないような、ごまかしや後方修正なんかがきかない感じがひしひしとする。
ただ、こうした材料や火加減みたいなレモンパスタをつくる全要素が、ある一点のバランスで絶妙に「レモンパスタ」になったとき、(たぶんそれはほんとうに奇跡みたいな確率で起こる)きっと、一生忘れられないくらい美味しいレモンパスタになるんだと思う。
こういうのって、すくなくとも私の人生にはあまりない。
やってみてダメなら、あとでどうにかすればいいと思って生きてきたし、わりとそれでどうにかなってきた。
そういうわけで、レモンパスタには、どうもこう、ほんとうにそれしかないところまで追いこまれないかぎり「あの人とは目を合わせちゃいけない」感をずっと抱えている。
そして、いまのところ、まだレモンパスタと目を合わせなきゃいけないほど追い込まれたことはない。
でも、人生にはこういう「おいしいレモンパスタ的」瞬間というか、そういうシンプルなものがたった1点の絶妙なバランスになった時にしか輝かないもの、みたいなものがたまにある気がする。ほんとうにたまに。
あとはこう、やっぱりちょっとだけその「一点」をずれてしまったレモンパスタ(みたいなレモン味のパスタ)ばっかりなんじゃないのかなあ。
(自分でもちょっと何言ってるのかよくわからないけど)
そして、このあいだ東京駅で、例によってまたレモンパスタのことを思い出した際に膨らんだ妄想を下に書き留めておきます。
皇居を眺めながら、レモンパスタを思い浮かべたひとって他にいるのかなあ。
***
豊かなひと、だと思った。
翌朝、と言ってもお昼前なんだけど、キッチンで朝食を食べながらふと、映像がよぎった。
私が、自分の部屋に男の人を招き入れている映像。
今いる家じゃない、知らないのに知っている、そんなに新しくない、広い家。
キッチンから、浴室に向かって歩いてる。
男の人が誰なのかは分からないし、窓の外がどんななのかも分からない。
だけど、それがいつもの意図的に酔った夜でもなければ、そんな気怠い夜と酔いから覚めた朝でもないことは確かだった。
つまり、つかの間の相手でもなくて、かといって深く知り合っているわけでもない、だけど穏やかな感情を抱いている相手。
どうやら、いつか見た夢の、忘れていた断片のようだ。
「2月に更新したばかりだったんだけど、なんでだろう、11月に突然引っ越したんだ。すごく引っ越したかったわけでも、どうしても住みたい部屋があったわけでもないのに、気付いたらこの家に引っ越してた」
突然よぎったその映像の、その家が、すごく彼の家に似ていたような気もしたし、あるいは全然違うようにも思えた。
そこで、私は考えるのをやめた。
止まっていた手を動かして、少し塩の足りないレモンパスタを口に運んだ。
恋愛は、たまに夢みたいな現実があるのがきっと素敵なんだろうけど、自分の好きな夢を見ようとすると、突然その素敵な現実たちが去っていく。
そう、ついこの間のひどい失恋で学んだばかりだ。
「あなたって、犬派?猫派?」
犬みたいに誠実で、猫みたいに気分屋な彼女が聞く。
「そうだなあ。飼うなら犬かなあ。生き物としては猫が好きなんだけど」
「それって、結婚するなら犬、恋人にするなら猫ってこと?」
「はは、それはなかなかいい例えかも」
いつだったか、猫の夢をみた。
たぶん、高校生のときだ。
捨て猫にえさをあげる夢。
その猫が、とびきりの美人になって僕の家を訪ねてくる。
それで、その美人は猫みたいにうちで気ままに暮らしてる。
気がむくとこれ以上にないほど懐いてくれて、それは猫なんだけど、でもその猫はとびきりの美人で、僕は夢みたいな心地がする。夢の中で。
「でも、犬と結婚するんでしょう」
目の前の彼女は、もう犬と猫の話に興味をなくした様子で、食べかけのレモンパスタに塩を振っている。
ma.