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何リンピックがいい?

 

日本にとっては歴代最多のメダルを獲得するという華々しい記録を残してリオデジャネイロオリンピックが閉会した。

 

かの三島由紀夫東京オリンピックを取材した際にこのような言葉を綴っている。

 

「すべてのスポーツには、少量のアルコールのように、少量のセンチメンタリズムが含まれている」

 

三島の言葉を借りるなら、メダルラッシュに沸いた今大会は日本国民を、多量のアルコールのように、陶酔させたに違いない。

 

そして来月はパラリンピックと相成るが、

私はここで一つ提案をしたい。

 

パラリンピックが終わった後、もう一つの大会を開催するのはどうだろうか。

その大会とは各国から無作為に選出されたズブの素人にいきなり競技をやらせせてみるという大会であり、この大会の主な目的は各国の地の運動力の競い合いである。

大会の呼称を何リンピックにするかは未定である。

選出された人は取り敢えず選手村には行くが、自分が何の競技をさせられるのかは知らされていない。試合前日に出場競技が告げられ、その競技のルール説明が行われる。その時点で、プレイ経験の有無を問われるが正直に告げないと、後で経験者と判った時点で失格となる(陸上競技等例外もあり)。プレイ経験ありを申告すれば別の種目に回される。一応形式的に尿検査も行われる。

安全面を考慮して選出される人の年齢は15歳から35歳までとする。

 

日々鍛錬に明け暮れ、本番にその全てを懸けるアスリートの刹那の煌めきが美しい事は誰も否定はしないであろうが、

ド素人が国を背負ってがむしゃらになる姿というのも見てみたいものです。

 

普段は会社員の迫田選手!毎朝の満員電車で鍛え抜かれた精神力で見事金メダル!

 

IOCの皆さん、どうですか?

御一考お願い致します。

 

ta.

ふつうの麻婆豆腐

先日、映画『シンゴジラ』を観てきた。

 

内容はさておき、何をするにも会議や稟議でカチコチの日本社会を風刺するべく、

そんなシステム社会が最も苦手な「規格外・想定外のもの」つまり

既成のルール上で「ありえないもの」をできるだけ「ありえない」形で

放りこんでみたらどうなるの、という映画だった。

 

あれだけ現実味のない怪物が、これまた隅々までリアルな東京を

好き放題めちゃくちゃにするさまは異様ではあるものの、

東京に降り立ったゴジラの異様さよりも気になってしまうのは、

そんな状況下でもシステムに従ってロボットのように生きる人間の異様さだった。

 

 

さて、映画を観終わって夜ごはんに中華をチョイスした。

私はあまりお腹が空いていなかったので、生ビールとつまみに蒸し餃子を注文し、

一緒に映画を観た彼が麻婆豆腐セットを注文する様子を優しく見守っていた。

 

しかし、彼が欲しかったふつうの麻婆豆腐は、キャンペーン中で

スペシャル麻婆豆腐(たぶんこんな感じ)へと姿を変えていた。

 

注文をとりにきた店員さんいわく、

スペシャル麻婆豆腐はふつうの麻婆豆腐より少し辛いんだそう。

彼はそんなに辛い麻婆豆腐を求めていなかったらしく、少し考えこんでいた。

 

すると店員さん、

スペシャル麻婆豆腐を少し辛くなくもできますよ」

とのこと。

 

彼は、提示された思いがけない迂回路に一瞬戸惑ったものの、

求めていたものにたどりついて安心した様子で「スペシャル麻婆豆腐、少し辛くないの」を注文していた。

 

 

そのとき、ふと村上春樹の『バート・バカラックはお好き?』という短編を思い出した。

あれも、たしかそんな話で、主人公の「僕」は普通のハンバーグ・ステーキが食べたいんだけど

入った洋食屋には、なになに風ハンバーグ・ステーキしかない。

 

僕が困っていると、ウェイトレスの女の子が

「ハワイ風ハンバーグ・ステーキのパイナップルをどけちゃえばいいのよ」

と、教えてくれる。

 

その言葉で僕は事なきを得て、ハワイ風ハンバーグ・ステーキを注文する。

そして、ハワイ風ハンバーグ・ステーキ、パイナップル抜きという形でしか

普通のハンバーグ・ステーキにありつけない世の中をなんとも変なものだと思う。

 

細かいところは覚えていないけど、たしかこんな話だったはずだ。

 

 

 

 

時は変わり、警察官をしている同級生とご飯にいった。今度はイタリアンだ。

そのとき、警察のことをいろいろと教えてくれたのだけれど、警察官というのはまあ大変な仕事のようだ。

そりゃあ日々市民の平和を守っているのだからそんなの当たり前なんだろうけど、

やはり当事者から聞くと、その大変さにはほんとうの重みがある。

 

聞けば、何年かは厳しい門限のある寮で暮らさなきゃいけないうえに、

夏休みをもらうのにも偉いひとの「決裁」が必要で、

さらに恋人ができたならその恋人の情報をちゃんと規定の書類に記して提出しなくちゃいけないらしい。

これもまあ当然といえば当然なんだろうけど、変な人物が警察官の側にいてはまずいからだ。

 

しかしまあ、こんなのは序の口で、実際の業務は少し聞いただけでも、

もっと過酷で強い精神を必要とするものだった。

 

そんな凄まじい現実と日々対峙しているのだから、

個人としての自分の感情を押し殺して警察官という役割、

つまりは市民の安全を守る強靭なシステムの一部になりきることは

一人の人間としての弱い自分を守るためにも不可欠なことなんだろう。

 

そしてそんな警察官の彼も『シンゴジラ』を観たらしく、

おもしろかったねと楽しく話をしていたのだけど、彼からしてみると

あのコチコチの稟議システムにおいては、実際にその中に身を置いている分、

痛いほどに現実味があったと皮肉をこめた笑顔で話していた。

 

 

 

何も、この一連の話で社会のシステムにどうこう文句を言いたいわけではなくて、

どちらかというと、つまりスペシャル麻婆豆腐しかないように見えても、

少し迂回してふつうの麻婆豆腐にたどりついたり、

あるいはハワイ風ハンバーグ・ステーキからパイナップルをどけて

普通のハンバーグ・ステーキを食べる。

そういうことが上手にできるってことは、もしかしたらゴジラみたいに

システムそのものを破壊しにかかるより大事なのかもしれない。

少なくとも、今ある現実を生きるしかない私たちには、

そんな柔軟性が必要なんだと思う。

 

だって、そうじゃないと市民の平和はこうしてきっちりと守られなくなっちゃうし、

そもそも何かの間違いでほんとうにゴジラが降り立っても、

誰も率先して立ち向かったりなんてしないはずだ。

そうなったら、ほんとうに悲惨だ。

誰もが自由の名のもとに自由に生きるっていうのは、

そういう「現実的な」暗い面があることを忘れちゃいけない。

 

 

物事にはいつだって陰と陽があるらしいし、完ぺきっていうのはなかなか難しい。

だからこそ、社会を完ぺきだと思ってそれに従属するロボットになってしまうのではなく、

そんな不完全な社会の中に身を置きつつ柔軟に生きていくことに、人間の人間らしさみたいなものの意味が生まれるんだと思う。

 

 

 

 

 

 

そういえば、彼の注文した麻婆豆腐だけれど、

実際にテーブルに運ばれてきた「スペシャル麻婆豆腐、少し辛くないの」は、思ったよりずいぶん辛かったらしい。

たくさんの真っ赤な鷹の爪を、彼は神経質に一つ残らず取り出して端に寄せていた。

 

彼は終始「辛い」を連呼していたけれど、

そもそも本場の中国人が経営している中華なのだ。

 

そんなのインド人に、バーモントカレーを期待するようなものだ。

少し考えればわかるだろうに。

 

ma. 

 

 

レモンパスタ

「ピザとパスタ」特集をしていた雑誌に、「レモンパスタ」の作り方が載っていた。

 

それからというもの、なぜかことあるごとに、レモンパスタのことを考えてしまう。(そもそもレモンパスタってなんなんだろう)

もちろん作り方は読んだし、ほんきになれば明日のお昼にレモンパスタを作ることだってできる。

 

ただ、レモンパスタのことを考えると、なんだかこう、お腹の奥の方がどうも落ち着かなくなる。

 

材料はシンプルで、

・パスタ

・レモンの薄切り

・オリーブオイル

・塩

 

というもの。

 

ほんとうにシンプルでしょう。

 

だからなのか、こう、一旦火をかけたらもう後戻りできないような、ごまかしや後方修正なんかがきかない感じがひしひしとする。

ただ、こうした材料や火加減みたいなレモンパスタをつくる全要素が、ある一点のバランスで絶妙に「レモンパスタ」になったとき、(たぶんそれはほんとうに奇跡みたいな確率で起こる)きっと、一生忘れられないくらい美味しいレモンパスタになるんだと思う。

 

こういうのって、すくなくとも私の人生にはあまりない。

やってみてダメなら、あとでどうにかすればいいと思って生きてきたし、わりとそれでどうにかなってきた。

 

 

そういうわけで、レモンパスタには、どうもこう、ほんとうにそれしかないところまで追いこまれないかぎり「あの人とは目を合わせちゃいけない」感をずっと抱えている。

 

そして、いまのところ、まだレモンパスタと目を合わせなきゃいけないほど追い込まれたことはない。

 

でも、人生にはこういう「おいしいレモンパスタ的」瞬間というか、そういうシンプルなものがたった1点の絶妙なバランスになった時にしか輝かないもの、みたいなものがたまにある気がする。ほんとうにたまに。

あとはこう、やっぱりちょっとだけその「一点」をずれてしまったレモンパスタ(みたいなレモン味のパスタ)ばっかりなんじゃないのかなあ。

(自分でもちょっと何言ってるのかよくわからないけど)

 

そして、このあいだ東京駅で、例によってまたレモンパスタのことを思い出した際に膨らんだ妄想を下に書き留めておきます。

皇居を眺めながら、レモンパスタを思い浮かべたひとって他にいるのかなあ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

豊かなひと、だと思った。

 

翌朝、と言ってもお昼前なんだけど、キッチンで朝食を食べながらふと、映像がよぎった。

 

 

 

私が、自分の部屋に男の人を招き入れている映像。

 

今いる家じゃない、知らないのに知っている、そんなに新しくない、広い家。

キッチンから、浴室に向かって歩いてる。

 

男の人が誰なのかは分からないし、窓の外がどんななのかも分からない。

だけど、それがいつもの意図的に酔った夜でもなければ、そんな気怠い夜と酔いから覚めた朝でもないことは確かだった。

 

つまり、つかの間の相手でもなくて、かといって深く知り合っているわけでもない、だけど穏やかな感情を抱いている相手。

 

 

 

どうやら、いつか見た夢の、忘れていた断片のようだ。

 

 

「2月に更新したばかりだったんだけど、なんでだろう、11月に突然引っ越したんだ。すごく引っ越したかったわけでも、どうしても住みたい部屋があったわけでもないのに、気付いたらこの家に引っ越してた」

 

突然よぎったその映像の、その家が、すごく彼の家に似ていたような気もしたし、あるいは全然違うようにも思えた。

 

そこで、私は考えるのをやめた。

 

止まっていた手を動かして、少し塩の足りないレモンパスタを口に運んだ。

 

恋愛は、たまに夢みたいな現実があるのがきっと素敵なんだろうけど、自分の好きな夢を見ようとすると、突然その素敵な現実たちが去っていく。

 

そう、ついこの間のひどい失恋で学んだばかりだ。

 

 

 

 

 

 

「あなたって、犬派?猫派?」

犬みたいに誠実で、猫みたいに気分屋な彼女が聞く。

 

「そうだなあ。飼うなら犬かなあ。生き物としては猫が好きなんだけど」

「それって、結婚するなら犬、恋人にするなら猫ってこと?」

「はは、それはなかなかいい例えかも」

 

 

 

いつだったか、猫の夢をみた。

たぶん、高校生のときだ。

 

捨て猫にえさをあげる夢。

その猫が、とびきりの美人になって僕の家を訪ねてくる。

それで、その美人は猫みたいにうちで気ままに暮らしてる。

気がむくとこれ以上にないほど懐いてくれて、それは猫なんだけど、でもその猫はとびきりの美人で、僕は夢みたいな心地がする。夢の中で。

 

 

 

 

「でも、犬と結婚するんでしょう」

 

目の前の彼女は、もう犬と猫の話に興味をなくした様子で、食べかけのレモンパスタに塩を振っている。

 

 

 

ma. 

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